建築家の白井晟一が最晩年に手掛けた松濤美術館
現在竣工時のままの美術館を体験できる展示を行っています。
普段非公開の茶室や館長室も見る事が出来ます。
建物中心の吹抜け沿いの展示用壁も撤去されていて、
噴水の揺らぎが展示室まで届いていて建物本来の白井晟一が目指した空間が現れていました。
白井晟一が同時期設計した芹沢銈介美術館も中庭(水盤)周る様に展示室が囲まれています。
芹沢銈介美術館は竣工当時から中庭沿いのカーテンは閉められたまま、
館内にある噴水も使用されずに現在までに至ります。
そう考えると今回の松涛美術館の試みは語り継がれる事でしょう。
何気なく中庭を眺めながら思った事は、
同じ建物の中にいる事で中庭沿いの反対側の人は見えるけど、
声は聞こえない。
ブリッジを中心に上部にいる方、下部にいる方、
談笑している方や、写真を撮っている方、美術の余韻に浸っている方等
様々な行動をしている方が見えるが、声は聞こえない。
しかし同じ建物の中にいるという共通項のみで繋がっている。
そう考えていて類似する空間がある事を考えた。
それは郊外にある大型ショッピングセンター
四層吹抜けで、ブリッジによって吹抜けの反対側に行ける
構成だけで言ったら松涛美術館と同じ
上部や下部に座って休んでいる人、談笑している恋人達、泣き散らかしている子供等など、、
同じ建物の中にいるという共通項のみで繋がっている。
大型ショッピングセンターがそこまで考えて、とは思わないけど、
大型ショッピングセンターが考える人が集まる空間的感覚が、
まさかの白井晟一的なんだと考えて、感慨深い気持ちになりました、、